生き延ばして、秋

元バンドマン。情熱を失ってとりあえず正社員としてIT事務の形だけ正社員。うだつのあがらない毎日。何かがほしい。ほしくてたまらない。

書を捨てよ街に出よ

私はすっかりつまらない人間なってしまった。休日に何をしたらいいか皆目検討がつかない。楽器、ゲーム、ギャンブル、お酒、読書。好きなモノはたくさんあるはずなのに。わくわくする心を失ってしまったのかもしれない。それさえあれば、何をしていても、誰といても、充実をより実感できるのかもしれない。さて、それはどこで手にはいるのだろう。町にでれば何か見つかるかもしれないとでてみても大したものは見つからなかった。それに今日はなにより秋の長雨だし、寒い。外にでるのはやめよう。誰かと会ってみようか。ストレスを不用意にためたくないので誰にも会いたくない。何かおいしいものでも食べようか。おいしいものは先週帰省して食べ尽くしたのでたいして食べたくない。マクドナルド程度でも十分満足できる舌なんだ。

 

その程度には退屈に過ごせるというのはある種幸せな境遇にいるのかもしれない。人間なんて不完全な生き物だから、特に私には足りないモノが多すぎるから、より多くの何かをほしがってしまう。欲望はつきない。もっと可視化されていてわかりやすければどんなに楽だろう。それともわからないから人生楽しいのかもしれない。楽しいってなんだ。健全に子供をすごさなかったので今でもくだらない葛藤に悩むことになる。

 

先週の帰省で姪っ子にはじめて会った。子供らしい無邪気で健全さを肌で感じた。パペットマペット的なおもちゃで全力で遊んだらなついてくれたようで、すっかり私は東京のおじちゃんになってしまった。子供がほしいなと思った。しかしそれさえ、面倒くささが先だって何一つ行動できないのである。

 

そう、好きになったあの子に告白でもしてみようか。しかしあの子は単身上京してくるんだ。伝手がまったくないわけではないが私における比重が大きい。つき合えたにしても、振られるにしても、彼女の心労になってはいけない。

 

新しい仕事も私の職場における役割がどうやら大きいようだ。責任をとる、中心としてがんばることを避け続けてきた反動なのかなとも思う。人生の中心人物は紛れもない自分だ。その自覚をもっていくべきなのだろうか。

 

書を捨てて町にでよう。何も見つからないかもしれない。でも何もしないよりはマシだ。